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ヒロシマの記憶 〜幻の原爆フィルムで歩く広島〜

DVD 全10話/35分
図書館価格(個人貸出・館内上映権付)10,000円(税別)
ライブラリー価格(団体貸出・館外上映権付)20,000円(税別)
ヒロシマナガサキの記憶pdf

1945年、原爆が投下されて2か月。
焦土の風景と苦しむ被爆者は日本人の手によって撮影されました。
当時、日本映画社のスタッフが撮影したフィルムには治療を受ける人々や医師と看護師、焼き尽くされた建物、ガレキに埋まる町の様子が映し出されています。このフィルムは1946年「広島・長崎における原子爆弾の効果」という映画となって海を渡り、米軍の教材になりました。
現存する未編集フィルムはハイビジョン処理され、これまでより詳細な状況が確認できるようになりました。この作品では、映された映像と現在の場所を対比。
過去と現在、戦争と平和、あるいは当時の記憶を蘇らせる作品に仕上げました。



相生橋【3:30】

爆心から300mの相生橋は、原爆投下の目標でした。上からの爆風が水面に反射し、橋全体が持ち上げられました。欄千が落下した箇所もありましたが、通行には支障はありませんでした。相生橋は1983年に架け替えられ、被爆の記憶をとどめるものは残つていません。


袋町国民学校〜伝言〜【3:30】
袋町国民学校は爆心地から460mの至近距離に位置し、朝会で校庭にいた先生、生徒約160人はほとんどが死亡、本造の校合倒壊し焼けてしまいました。原爆投下後も形を残した西校合の一部は隣接する「平和資料館」の中で保存されています。


広島城【3:30】
戦国時代に築かれた広島城は、鯉城(りじよう)とも呼ばれ、西国屈指の規模を誇る城でした。しかし、爆心地から980mの至近距離にあつた国宝の天守閣は爆風によリー瞬で崩壊。その後1958年に天守闇、1994年に二の丸や太鼓やぐらが復元。今は観光地として知られています。


西蓮寺・西向寺【3:30】
原爆ドームから道路ひとつ隔てた場所に「西蓮寺」と「西向寺」があります。2つの寺には、ほぼ真上から原爆の熱線と爆圧を受けた墓が今もたくさん残つています。熱線を受けて変化した墓石の様子は、60年を経た今でも、はつきりとわかります。


天満橋と元安橋【3:30】
天満橋は原爆で燃えましたが、通行には支障がありませんでした。しかし、その後の水害で電車専用の橋とともに流失しました。元安橋は爆風により笠石が外側方向にずれ、欄千はすべて川に落下しました。現在の橋には橋の名前を刻んだ大理石と両側の柱が再利用されています。


植物の被爆【3:30】
原子爆弾は広島の植物にも大きな影響を与えました。熱線による影響は広範囲で見られ、約4km離れた己斐地区でも、植物が焼けた様子が映像に残されています。現在、爆心地から500m以内には、4か所の被爆樹木が被爆前と同じ場所で枝を広げています。


広島逓信局【3:30】
広島逓信局は、郵政と通信を管轄する逓信省の中国地区管理機関でした。原爆で28人が死亡、全員が重軽傷を負いました。隣の逓信病院には、被爆直後から多くの被災者がつめかけました。フィルムには逓信局で暮らす患者と、その家族などの様子が映つています。現在、旧逓信局の敷地内には、原爆慰霊碑があり、局舎玄関の階段の一部が残されています。


広島赤十字病院〜姉と弟〜【3:30】
フィルムに映る幼い姉と弟は、爆心地から1kmの舟入町で被爆しました。数日後、2人は脱毛や発熱などの症状を訴え始めました。原爆の放射能による急性症状でした。広島赤十字病院(現:広島赤十字・原爆病院)には、原爆投下後混乱の中で医師が書きとめた血液検査の膨大なデータが今も保管されています。


一番電車【3:30】
被爆2ヶ月後のフイルムには、焦土と化した広島の街を走る電車の様子が撮影されています。原爆投下時は朝の出勤時間帯で、108両が被害を受けました。電力の供給も止まり、電車は完全にストップしましたが、懸命な復旧作業によつて、被爆3日後には己斐ー西天満町間で折り返し運転が再開しました。被爆60年後の広島を元気に走る「被爆電車」の様子が印象的です。


広島県産業奨励館〜継承〜【3:30】
原爆は、広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)の南東160mの上空580mで炸裂しました。職員らは全員が即死。周辺の町並みは壊滅し、人々の営みも消えました。核兵器が人類に何をもたらすのか。原爆ドームは、傷ついた姿をさらしながら私たちに訴え続けています。



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