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長崎の記憶 〜幻の原爆フィルムで歩く長崎〜

DVD 全10話/37分
図書館価格(個人貸出・館内上映権付)10,000円(税別)
ライブラリー価格(団体貸出・館外上映権付)20,000円(税別)
ヒロシマナガサキの記憶pdf

1945年、原爆が投下されて2か月。
焦土の風景と苦しむ被爆者は日本人の手によって撮影されました。
当時、日本映画社のスタッフが撮影したフィルムには治療を受ける人々や医師と看護師、焼き尽くされた建物、ガレキに埋まる町の様子が映し出されています。このフィルムは1946年「広島・長崎における原子爆弾の効果」という映画となって海を渡り、米軍の教材になりました。
現存する未編集フィルムはハイビジョン処理され、これまでより詳細な状況が確認できるようになりました。この作品では、映された映像と現在の場所を対比。
過去と現在、戦争と平和、あるいは当時の記憶を蘇らせる作品に仕上げました。


浦上天主堂【4:00】
キリシタン弾圧に耐えた浦上のカトリック信者が30年の歳月をかけて建設した浦上天主堂。東洋一の威容を誇つたその天主堂は、一発の原子爆弾によつて全壊、全焼しました。破壊された浦上天主堂を記録した貴重な映像と多くの家族の命を奪われたカトリック信者の証言です。


新興善救護所【3:51】
現在の長崎市立図書館の場所にあつた、新興善国民学校は原爆投下後、市内最大の救護所となり、負傷した多くの被爆者が手当てを受けました。今日は敷護活動に従事した看護婦や、手当てを受けた被爆者の証言を交えながら、当時を振り返ります。


鎮西学院【3:27】
現在活水中学・高校の校舎として使われている長崎市宝栄町の鉄筋コンクリート建ての建物は、昭和5年に完成した鎮西学院の旧校舎で、原爆で破壊され、100人を超える教職員や生徒らが亡くなりました。


爆心地【3:31】
爆心地と原爆の爆発点は、どのようにして測定されたのか。熱線の温度が数千度に達した爆心地と、その周辺では、町と人間は、どのような被害を蒙ったのか、被爆者の証言を交えてお伝えします。


浦上刑務支所【3:36】
爆心地から、わずか100メートルの至近距離にあつた浦上刑務支所は、原爆で全壊、全焼し、職員や受刑者ら130人あまりは、全員爆死しました。その中には、県内の炭鉱に強制連行された中国人や韓国、朝鮮人も含まれていました。


城山国民学校【3:24】
爆心地から500メートルの至近距離にあつた城山小学校は、原爆の爆風や熱線で破壊され、児童や教職員など1400人以上が犠牲となりました。生き残つた教師の証言をまじえて、当時の惨状を振り返ります。


三菱兵器製作所大橋工場【4:00】
魚雷専門の工場としては、世界でも有数の規模といわれた、三菱兵器大橋工場。真珠湾攻撃などで使われた航空機から、投下する魚雷を生産していました。太平洋戦争開戦の年に建設が始まり、原爆で壊滅的被害を受けた、大橋工場について、元従業員の証言を交えてお伝えします。


長崎医科大学【3:32】
爆心地から、およそ600メートルにあった、長崎医科大学。原爆によって壊滅的な被害を受け、教授・学生・看護婦ら、およそ900人が犠牲となりました。そこで被爆した看護婦や学生の証言を交えながら当時の惨状を振り返ります。


三菱長崎製鋼所【3:30】
三菱製鋼所は、今の長崎ブリックホールや原爆病院などの場所にありました。当時、三菱製鋼所では、鋼板や航空機の部品などが作られており、原爆で1,400人以上が犠牲となりました。


交通機関【3:47】
市民の足として親しまれ、原爆で多くの乗員・乗客が亡くなつた路面電車と、傷ついた被爆者を救援した、国鉄蒸気機関車。当時のフィルムと、元運転士らの証言をまじえながら、原爆が長崎の交通機関に及ばした被害をお伝えします。



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