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長編記録映画
琵琶法師

山鹿良之
BIWAHOUSHI
Yamashika Yoshiyuki

DVD 図書館価格:
個人貸出・館内無料上映可

DVD ライブラリー価格:
個人貸出・館内無料上映・団体貸出・館外無償上映可

80分/カラー/日本語/ステレオ/1992年作品/原版16ミリ
琵琶法師写真1

琵琶弾きは見かけじゃなか。芸をみがけ

★1992 年「毎日映画コンクール・記録文化映画賞」

★1992年「キネマ旬報」文化映画ベストテン 第4位

★1992 年「文化庁優秀映画作品賞」

琵琶法師 山鹿良之pdf

最後の琵琶法師 山鹿良之

 シルクロードを経由して日本に渡来した琵琶には、大別してふたつの系統があった。ひとつは、畿内中央に公式ルートで伝えられた雅楽琵琶。もうひとつは、大陸から直接九州地方に渡来したとみられる琵琶法師の琵琶である。
 琵琶法師の琵琶は、携帯に便利なように、雅楽琵琶よりもひとまわり小振りにできている。棹のにぎりが太く、柱(フレット)の数も多いという独特のつくりだが、『平家物語』などのさまざまな物語を語り、祝言や竃祓い(かまどばらい)などの民間の宗教儀礼にたずさわった琵琶法師は、世紀の末頃から、しだいに新しい三味線音楽に転向していった。東北地方に伝わった奥浄瑠璃や有名な津軽三味線は、いずれも座頭三味線の系統である。近世の語り物音楽を代表する浄瑠璃・文楽も、もとは座頭(男性盲人)の三味線芸として出発した。
 時代の流行が琵琶から三味線へ移行したなかで、しかし九州地方だけは、座頭の琵琶が江戸時代以降も行われた。理由のひとつは、盲人の琵琶演奏が九州では、竃祓い・わたまし(新築祝い)などの民間の宗教祭祀と密接に結びついて存在したからだ。法具としての琵琶のあり方が、三味線との交替を困難にしたのだが、芸能者が同時に宗教者でもあるという古代・中世的な芸能伝承のあり方は、九州の琵琶法師によって近代まで伝えられた。
 山鹿良之さんは、明治34年(1901年)3月、熊本県玉名郡大原村(現南関町小原)の農家の三男として生まれ、4歳で左眼を失明、22歳のときに天草の座頭、玉川教節のもとに弟子入りした。三年後いったん郷里にもどり、再度福岡県大牟田の玉川教山について修行したあと、昭和3年(1927年)に独立して玉川教演と名のり、熊本県北部や福岡県南部を中心に昭和年代まで活動した。
 その放浪芸的な活動実態といい、全貌を把握しがたいほどの膨大な伝承量といい、山鹿さんはまさに日本最後の琵琶法師だった。研究者用語で、オーラル・コンポジション(口頭的作詞法)といわれるその自在な語り口は、文学・芸能史を研究する者にとって、きわめて貴重な研究対象になっていたが、そんな研究上の関心をはなれても、聴く者を強く引きつけてやまなかったのは、山鹿さんの芸がもつ独特の説得力であった。
 琵琶語りひと筋に生きた山鹿さんは、常人の想像を絶するような生活苦のなかで5人のお子さんを亡くすという悲運にも見舞われた。だが、そんな逆境のなかから生まれた山鹿さんの芸には、聴く者を身ぶるいさせるような説得力があった。
 山鹿さんが語る小栗判官や俊徳丸の物語が、山鹿さん本人のライフ・ヒストリーと重なりあい、まさに小栗や俊徳丸が復活・転生する現場に立ちあうような異形なリアリティを生み出したのである。
 そんな日本最後の琵琶法師、山鹿良之さんは1996年に満95歳で他界した。1993年から3年あまりは介護施設で療養する日々だったが、今回上映される『琵琶法師山鹿良之』は、琵琶弾き座頭としての山鹿さんの現役最晩年のすがたを記録している。日本の放浪芸人の最後をみとった貴重なドキュメンタリー映像である。

兵藤裕己(学習院大学名誉教授)

チラシ画像をクリックするとpdfファイルでご覧いただけます。

琵琶法師写真2

【スタッフ】

プロデューサー:石垣誠一
製作:長島健二
監修:兵藤裕己
監督:青池憲司
撮影:田代啓史
照明:長嶋建人
録音:永峯康弘
音楽:織田英子
編集:村本 勝
語り:石原 良/青池憲司
ネガ編集:福井千賀子
タイトル:日映美術
撮影助手:瀬川 龍/藤江 潔
編集助手:小幡寿一
制作進行:高橋有仁

【出演】

山鹿良之
宮川光義
木村義夫
田中千代乃
藤本洋子
片山旭星
熊本県南関町小原のみなさん
福岡県柳川市崩道のみなさん

【技術協力】

株式会社ヨコシネディーアイエー
株式会社IMAGICAエンターテインメントメディアサービス

【製作】

オフィスケイエス1992年